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第119回『お土産』2005年3月31日

父が仕事で中国の北京、天津、上海などを
東京と往復し始めたのが昭和12年(1937)からで
それから敗戦の年、昭和20年の3月まで続く。
私が4歳から12歳までの間であったから
最後に近い頃の記憶は充分あるが、
初期の頃の記憶はあまり無い。
記憶にあるのはさまざまなお土産ことくらいである。

5~6歳の時、父からハガキが私宛に届き
「今度帰る時はラクダを連れて帰るから・・・・」
という内容で
嬉しいやら、びっくりするやら、おそらく嬉しくて
仲良しの友達などにしゃべった事であろう

当時、牛込(今の新宿区内)に住んでいたが
湘南の茅ヶ崎近くに別荘があり、
動物好きな別荘番がいて、
乳牛や鶏、ウサギなども飼っていたので
そこで飼えば、充分広いし問題なし、
などと考えていたことも覚えている。

父の帰りをひたすら、楽しみに待った。
待ちに待った父が帰り、連れてきた
ラクダを今もはっきりと記憶している。
それは、下の絵のような物であった。



大きさが20センチほどの作り物であった。

兄や、姉達は初めから本物のラクダが
来るわけなしと、思っていたのでしょうが
私は5,6歳であったし、動物好きであったから、
かなり本気にしていたような気がする。

それだけに、ちょっとがっかりはしたが、
可愛い小さなラクダも大切にしていた。
しかし、その後の度重なる引越しなどで
「ラクダ」そのものは失くしてしまった。
そのものは亡くなってしまったが、記憶として、
こうして60年以上も大切にしている。

今思えば、
そのハガキも失くしてしまって残念である。
父からのハガキ、手紙などというものはそれ以外、
後にも先にもなく、唯一のものであった。



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