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第133回『眼・視力』2005年5月19日

前回もちょっと触れたが、
「眼」に関しては真に恵まれていて、
眼科医のお世話になった記憶はない。
若い頃の視力は、右1.5、左1.2
であったから、良い方であろう。

「接写」を仕事にするようになって、眼を酷使、
視力は0.7くらいに落ちたが、
なんの支障もなく今日まできている。

但し老眼は早く40代の始めには、
文庫本を読むには老眼鏡が
必要になってしまった。
現在は既製の老眼鏡の
最も度が強いものを使用、まあ不便はない。
相変わらず、写真、パソコンで眼を酷使する
毎日であるが、耐えていてくれる。



『眼』も歯と同じように
遺伝的なものが大きいと思う。

両親とも眼は良かったようだ。
良い眼を持って生まれてきても、
さまざまな眼病があるので、
何事もなく無事にとは限らない

7人兄弟であるが、
一人は生後数ヶ月の時に、
母親がわが子の眼の異常に気付き、
「眼底癌」であることが判り、摘出手術をして、
以後隻眼で過ごしてきている。

又もう一人、長兄は、
24、5歳の時、左目に激痛、
医者をあちこち紹介され治療を受けたが
原因不明のまま、失明、その後、
隻眼での生活を余儀無くさせられていたが、
30余年後に残されていた眼が
最初と同じ症状に
見舞われ結局失明。

この時点で両眼の視力を失い
失意の晩年であった。
隻眼でもさまざま不便を感じるであろうが、
まだ何とかなる。

しかし、両眼失明は生活に致命的な打撃
であろうことは想像するまでもない。

そんなわけで、「眼」に関しては
かなり気を使っているが、
私自身は本当に幸運なことに
医者知らずである。

「眼」は物の外形や色を見分けたりする事が
機能の主眼であるが、
「眼は口ほどに物を云い」と、
よく言われるように、
眼はさまざまな事を、
表現し、また、訴えます。
その力は、時に、口以上に物を言います。

口は災いの元といわれ、
結構気を付けいるので、
出かかった言葉を飲み込んで
事なきを得たつもりになっている事がありますが、
大概の場合、
「眼」が既に云ってしまっているものです。

「眼」は正直で隠し事や、
ウソが下手な器官のようです。

又、「見る」方に戻りますが、
ものの外形や色彩を見分けるだけでなく、
内面まで見抜いてしまう「眼力」も備わっていて
この力は経験などによって更に磨かれるようだ。

いずれにしても人間にとって
最も大切な器官であるから、
大切にして、長持ちさせたいと思っている。



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