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第277回『はて?この建物は』
2008/06/16

左上の建物は何だと思いますか?
多分正解は出ないでしょう。
実は戦後まで使われていた小学校なのです。
前回の芸術教育の会のプログラムに盛り込まれていた、古い小学校の見学で行ったわけです。
上田市と小諸市に挟まれた「東御市」に「和」(かのうと読む)という地籍があります。その集落の小学校であったわけです。ちょっと中国の寺院のような感じでビックリしました。後で知りましたが宮大工の設計だそうです。
建物の正面は、二番目の写真です。
現在は隣接して、保育園、小学校が建てられていて、この古い校舎は、資料館として、創立以来の校長の肖像写真、それぞれの時代の教科書など、学校の歴史資料がぎっしり陳列されていていました。また、日常生活に使われていたさまざまな道具類も多く見られました。
盛りだくさんの日程でここだけゆっくり見学するわけにも行かず、駆け足でしたから、目ぼしい物を、パチパチとカメラに収めてきましたが。
三番目は「下駄スケ−ト」戦前はぴかぴかの革靴のスケ−トなど、持っている人は殆どなく、信州の子ども達は、歯のない下駄のようなものに、鍛冶屋に頼んで打って貰った鉄の歯を固定したのが普通でした。疎開してきた翌年戦後間もなくだったように記憶しているが、冬の体育の時間に使うので鍛冶屋に頼みにいき造ってもらったこと、ろくに滑れないので鬼ごっこの仲間には入れてもらえなかったことなど思い出し一人苦笑。
次の、ラッパ型の「蓄音機」(この言葉も懐かしい)これはさすがに私の子どもの頃に既に無く、もう少し進化したものでしたから、大変珍しく又、完全な形で保存されているのに驚きました。
蓄音機の奥の方にいろいろな形のランプもみられます。
一番下左は、「竿ばかり軽いものを量る小さなものから、重たいものを量る大きなものまで、よく保存していたものと感心してしまった。「竿ばかり」は子どもの時代に未だ多くの商人達が使っているのをこの眼で見てきたので馴染みのある道具である。
下右は、生徒達の作品のようである。昔は、学校で裁縫や編み物など、自分が日常使うものなどを造るのは当然のこととして教えられていたわけである。
この資料館はもう一度ゆっくり見たいと思っている。



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