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第46回「折り紙Ⅱ ヨット」2004年7月1日



久々に「折り紙」です。
前回は3月桃の節句で折雛をご紹介しました。

その時に触れましたが、
このヨットも正方形の折り紙を使い、
はさみは入れないで創作したものです。

折り紙自体はきびしく原則を守りますが、
作品を楽しく見ていただくために、
パソコンの機能を駆使しました。

簡単に手順を説明すると、

まずヨットを撮影しパソコンに取り込み、
切り抜きます。
別に海をイメ-ジした背景を用意し
そこに切り抜いたヨットの画像を重ねます。
更に子供の写真を選び、
これも切り抜いて重ねるわけです。

昔は折り紙の本といえば、
単に折り順を図解しただけの、
魅力のないものでした。
印刷物がカラ-になって多少、
作品の見せ方も
工夫されていますが、まだまだです。

ついでに今この稿を記しながら、
数多いホ-ムペ-ジを見て感じたのは
折り紙自体は、ものすごくリアルに、
精巧になって行く
傾向があるという事。
従って折り工程が多過ぎる。

「単純から複雑へ進化して行く」 
これは全ての事に
通じる趨勢で、仕方がないのかもしれないが
古くから日本にある伝統的な折り紙とは
全く別物になってしまったこと。

例えば、古典的な「折鶴」は
リアルかと云えば、
決してリアルではないが、
確かに「鶴」である。

現代折り紙と称するような作品群を見ると、
リアルさという点では、遥に超えているが
面白みがない。
もっと云えば省t略がないせいか、
描き過ぎた絵をみるようだ。

つい
「あれだけくしゃくしゃになるほど細かく折れば
何でも折れるわい」と一人ごちてしまった。

しかし、人それぞれ主張があり、
哲学があってやっている
ことであるから己の思う通りに
やればよいことである

そういう私がやっている事も
「パソコンなど使って・・・・・」
と云われても仕方がないが
作品をより良く見せる事も
大事なことであると思っているから、
パソコンを始めて間もなく折り紙作品を
パソコンの機能を使って
何か新しい表現が出来ないか考え、
初めて造ったのがヨットである。

自慢できるような出来ではない。
しかし単に写真を撮って
並べるよりは楽しいし、
別の目で見て戴けると思う

出版物は作者がいくら頑張っても、
時間の制約、
お金の制約があって
望む通りにはいかない、
どこかで妥協せざるを得ないが
自分のホ-ムペ-ジならば
制約はないから
好きなようにできるにもかかわらず、
今日見た限りでは
新味のあるプレゼンテイションは
見当たらなかった。

話は折り紙自体に戻るが、
折り紙を折って新しい
作品を造るに当たって
自分に足かせをしている。

重複するが、
①正方形を使う。
②挟みを入れない
③折工程を10工程
(左右同じ工程は1工程)以内で造る
④目見当で折ってはならない。

この4点をル-ルとしている。

因みにこのヨットの折りは、7工程、
最後に船底を広げる手順まで入れても
8工程である。
しかも誰でも知っている、
古典の鶴の折の途中からの変化で、
そこからは2工程でしかない。

たったこれだけの工程で
新しい形の発見があるところに、
面白さがある。
つまり奥が深いと言う事であろう。

昔、交通事故で瀕死の重症を負い、
医者の薦めで、
リハビリに折り紙を始め、
やがて、すばらしい、
精妙な作品を次つぎ発表されように
なった方と知り合った。

彼は、神から授かった技であるから、
「折神」と称していた。

又、紙は縦横の比率が、
1対√2という矩形を使っていらした。
この比率は黄金分割と云われている比率で
長い方の辺を二つに折ると
又同じ比率の矩形になる。
これも、彼は神から与えられた比率である。
故に私は「真方形」と呼んでいると、
云われていた。

昔、折り紙は女子、子供の遊び
の世界であったが今は多様で、
幾何学のジャンルの大学教授もいらっしゃる

こういう先生方は例えば、
正五角形はどのようにしたら折れるか、
三等分、或いは五等分するには
といった事を、
克明に記した著書などを出されている。
頭の悪い私には全て理解はできないが
その通りに折れば正確に
三等分でも、五等分でもできる

つまり、誰が折っても同じ角度になり、
同じ形ができる。
折り紙はこれでなければいけない
逆に言えば、凡その見当で折っては
ならないという事である。
たかが折り紙、されど折り紙である。


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