第68回「巨大カボチャ」2004年9月11日
一昨年の丁度今頃東京から遊びに来た 友人と近くの山へドライブに行った。 特別目的地は決め手いなかったが、とにかく 一山超えて信州新町辺りまで行こうと山道を行った。 走った事とのない道のほうが面白いと言う事で わき道へ入ったり、でたらめに走った。 二、三十分で、開けた畑地と思しきところに出た。 そこに、この巨大なカボチャが置いてあった。 |
この季節、各地の農村で巨大カボチャの大きさを競う コンペがあるのは新聞などで見て知っていたが、 実物を見るのは初めてなのであまりの大きさにビックリ。 対照物を一緒に撮らなかったのは失敗であったが、 周りの風景からもある程度大きさは推察できると思う。 私の推測では直径80センチ~90センチはあった。 凡その目方を推し量ってみると150キロ前後はありそうだ。 インタ-ネットで今年のコンペを調べたら、 愛媛県重信町のコンペでは237キロが最大で優勝。 この巨大カボチャは、飼料用だそうだが、 この巨大さには驚く。 私にとって「カボチャ」といえば戦中、戦後の 食糧難時代をいやでも思い起こしてしまう。 敗戦直前、直後の最悪の時期は カボチャすら無かったから、 最初の頃はありがたかったのかもしれない。 しかし、記憶としては来る日も来る日も、昼食は スイカのように三日月型に切ったカボチャ二切れ それも今のように美味しい品種ではない。 そんな昼食が二年くらいは続いたであろうか。 カボチャ主食の時代が終わってからというもの、 絶対カボチャは口にしないようになった。 食い物の好き嫌いは殆ど無いから、 嫌いではないはずだが 「カボチャだけは意地でも食べないぞ!」 2回や3回生まれ変わっても食べないぞ、 と思っていたが、自分で作物を作るようになった 5~6年前からカボチャを食べるようになった。 食傷したとは言え、カボチャを嫌悪すべきではなく、 逆に感謝しなければならないと、 遅まきながら気が付いた。 嫌悪し、恨むべきは戦争である。 |
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