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第81回「アキアカネ」2004年10月27日



青空に逆立ちもよしアキアカネ
(閑虫)

十七文字が浮かんだ時にメモしておく程度にしか
俳句は詠んでいないが、
画像をつけて楽しんでいる。

下五を「赤とんぼ」とせずに「アキアカネ」と
詠む辺りが「虫屋」の俳句であると自分で思う。

「赤とんぼ」と言う赤いトンボの総称を使うのに
抵抗があるわけではない。
種名を知っているからに過ぎない。

もう一つは「とんぼ」より「あかね」
の方がひびきがよい。
そして、表記は、かたかなが良いと思っている。

写真のトンボは「アキアカネ」という
固有の種名があるので、
画像をつければなおさら「アキアカネ」となる。

俳句を本や、ネットでみると一般的には
「アカトンボ」と詠んでいるものが圧倒的である。
「アカトンボ」は総称であって、「赤とんぼ」と
言う種は存在しないなどと、
云うつもりは全くない。

しかし、或るお茶屋さん主催の俳句大賞の、
選評の一文を見て、黙っていられなくなった。

ゆびきりを見とどけ帰るアカトンボ
(高校生の部大賞作品)に対する評である(以下)

『赤とんぼをアキアカネとも云う。
山から平地へ移動して、
人にまつわるように小さな群れをなして翔ぶ。
種類は多いが人なつこい。
ここでは若い二人の
ゆびきりげんまんをみとどけて
山へ帰ってゆく赤とんぼは
秋という季節の付添い人といえる』

選評を担当される立場であるなら、
正確なことを云って欲しいので苦言を呈する

まず、「赤とんぼは、アキアカネとも云う・・・・」 
冒頭から間違っている。

アキアカネは
固有の種の正式な種名であるから、
「赤とんぼ」という総称を
アキアカネとは云わない。

その後に、種類は多いが
云々と記しているから、推察するに、
アキアカネも赤とんぼと同じように
総称だと思っているようだ。

更に、山から平地に移動して・・・・・とあるが、
訂正すると、
平地で生まれ山へ移動し、
秋の終りに、山から平地に移動するのである。

そして、山から平地に移動して云々と書きながら、
「・・・・山へ帰って行くアカトンボは、
秋という季節の付き添い人である」

などと、まったく反対の事を平気で記している。
文脈も全体が支離滅裂である。

ずばり言えば、この選評を記した人は、
「赤とんぼ」のことは聞きかじりで、
まったく解っていない
にもかかわらず、アキアカネなど種名に触れ、
赤とんぼの移動の習性にまで触れてしまって
馬脚を現してしまった。

俳句、詩などその他文学の世界で、
種名などの正確を要求するほど野暮ではないが
この選評のように、このような形で
触れるのであれば、間違は許されない。
多くの人たちに間違った事を伝えてしまう
わけであるから注意を促しておきたい。

百人一首の中に
『きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしき一人かもねむ』

と言う一首がある
この「きりぎりす」は明らかに我々が現在
「こおろぎ」と呼んでいる虫の仲間を指す。
そして、この歌が詠まれた時代は
今と逆に呼ばれていた、と云われている、

つまり、今の「こおろぎ」が「きりぎりす」で、
今の「きりぎりす」が「ころぎ」と云われていた。
ということであるが

私はこの説は採らない。
その時代も、今も、文学の世界の人たちは、
虫の名前などはいいかげんで
どちらでも良いと思っているから、
混乱していただけの話である。
そして現代も同じように混乱している。

なにも文学の世界と限定する事はない、
一般的にと言い換えても良い。

理屈っぽい事をくだくだと記してしまったので、
最後に胸のすくような
中村汀女さんの一句をどうぞ

一夜明け山新しく赤とんぼ』 汀女



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