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第85回『色彩』2004年11月22日

「色彩」は何にとっても大切なもので、
着る物、食器、
その中身の食物、
全て「色彩」が第一であると思っている

以前にも記したが「民族の色彩と自然の色彩」
というテ-マをライフワ-クにしたい
と思っていたほど
色彩には関心が高い。
センスの良し悪しは、好みの問題でもあるし、
デリケ-トであるから
ここでは論じないことにしする。

八重山から帰って来て、大急ぎで「神王窯」の
塙さんの新作展の最終日に駆けつけた。
その中から私なりに気に入ったと言うより、
惚れ惚れした器二点をご紹介したい。





勿論他にもたくさん作品があり、
惚れ惚れがあり過ぎて困りました。

上の花器をご覧になって、彼の作品が
如何に実用的な作品であるかが解ります。

生けた花、枝、葉の影までが
作品に力を与え、又逆に、
なんということの無い枝や花が、
素晴らしく映る。

これぞ、器の持つ魅力であり、
本質でもあると思っている。

さて、次の大きな壺はどんな風に使ったら
更に生き生きとしてくるのだろう。

塙さんの作品のお値段は
私のような貧乏人には手が届きません。
涎を流して指を咥えるしかありません。

せめて、こうして自分のできる「写真」の世界で
楽しむしかありませんが、
これはこれ、結構楽しいのです。

その帰り、街の中で素晴らしく大きな
油彩の作品に出会いました。
下の写真が、それです。
これの正体が何かお判りでしょうか?



答えは、家の壁に「蔦」自らが描いた
「紅葉」と言うタイトルの作品です。



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