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第299回『飲酒歴』2009/2/22

煙草と同じ未成年の頃からで
やはり60年近くなるであろう。

正月のお屠蘇を除いて最も古い記憶にある酒は
次兄が志願兵で出征(死語になったが戦争に行くこと)する時
庭先で送り出すセレモニ−があり、
母方の祖母が杯についでくれた一杯であろうか。

6年生のときであるから63年前だが銘柄は
『御園竹』であったと確信に近い記憶がある。
とろりとした、甘味のあるお酒で香までも記憶にある。

我が家は父が全くの下戸であったから、
体質的にはお酒に強くはないが好きである。

本格的に飲み始めたのは高校を卒業して、
園芸試験場へ研修生として入った年である。
ある時長野市の繁華街でばったり
試験場随一の飲兵衛先生に偶然出会い
一杯飲み屋でご馳走になった。

もう一軒と云うことで連れて行かれた店が、
試験場のある街では知らぬ人のない怪しげな飲み屋街
女性が侍る店に入ったことが無かったので
入る前はかなり抵抗したのだが、
180センチ80キロくらいの巨漢であるから
無駄な抵抗であった。

ところが、美女がおり一目ぼれ、
翌日は一人でちゃっかりと飲みに行っていた、
すると8時頃であったか
昨日の巨漢が現れ「やっぱり来ていたか」と
にやにやとして一本飲んで連れ出され
「酒を飲むならあんな店に素面でいきなり
行ってはいかん」飲み方を教えてやると
酒屋へ連れて行かれ店先で立ったまま
「焼酎の葡萄割り」を飲まされた。
先刻のような店には
「焼酎を二、三杯引っ掛けてから行かぬと
懐が持たぬぞ」と
この巨漢M氏には、酒に限らず
人生の諸般について指導して頂いた。

後に初めての著作「昆虫」(講談社)を
お贈りした折ハガキを下さった。
「オメデトウ!寝転がって読んだぞ、」
人が寝ころがって読むような本は
なかなか書けるものではないと褒めて下さった。
話は逸れてしまったが、
お酒人生の中で忘れがたい師であった。

試験場へ入ったのが18歳であったから
それ以来60年弱、お酒を飲まぬ日は殆どなかった。
お酒と名の付くものなら何でも好きで飲んだ。

日本酒に始まり、焼酎、泡盛、濁酒、
紹興酒、白乾(パイカル)、フェン酒、
ワイン、ウイスキ−、ブランデイ、グラッパ、
ウオッカ、ズブロッカ、ジン、ラム、などなど
ありとあらゆる酒を飲みまくって、楽しんできた。

お酒最優先であったから、
車の免許も取らず車を持たぬ生活であったが
正解であったような気がしている。

ところが2〜3年前から、
晩酌は全くしなくなった。

以前は「水を飲んで飯食うのは鶏と日本人だけだ」
などと言って酒を飲まぬ人を蔑んでいたが
今は自身が酒もワインもビ−ルも飲まず
いきなり「飯」である。

しかし、飲む相手、仲間があれば相変わらず飲み、
一番最後まで飲んで朝までと言うこともしばしば。
酒がすきと云うより、酌み交わしながら、
楽しいおしゃべりをしたり、時に論争をしたり、
歌ったりと言う場を
楽しんでいるということである。

「酒は百薬の長」とも「きちがい水」とも云われている。
ほどほどがよろしいようで。
珍しく画像無しの299回である。



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