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第298回『喫煙・休煙・禁煙』
2009/02/13

300回に手が届くようになってから酷くピッチが落ち
、月3回が漸くという体たらくである。

このHPのタイトルのように「一服」状態になってしまったので、
ここで又「煙草」のことを書く。
第2回に「タバコ」というタイトルで書いた。

そこでは甲状腺癌の手術前にきっぱり禁煙したが
一年半後に又喫煙を始めてしまったこと、
また、喫煙者が肩身の狭い思いをさせられていることに腹立ち、
くだくだと書いた。

それから5年経った。
その間、2〜3回禁煙し今は又喫煙者になっている。

喫煙、禁煙を繰り返して、はっきり判ったことは、
喫煙を再開して2ヶ月くらいすると
痰が絡み始めること、禁煙して2〜3ヶ月すると
「痰」は殆ど出なくなることであった。

50年以上吸い続けている時には気にもしていなかった
「痰」の事をはっきり意識したことである。

痰が出ないのは非常にすっきりして気持ちが良い、
だから再開して痰が出始めると
「やはりよくないなあ」と云うより、
すっきりしないので又禁煙する、この繰り返しであった。

一歩外へ出れば、禁煙を強いられる情況が多いこともあって
「禁煙」をすることが昔ほど難しくなくなった。
と言いながら又吸っている。
もう忘れてしまったが、半年前は確か禁煙していた。

その頃、タバコの価格を思い切って上げて、
禁煙を促進させると言うような噂があった。
その時点では吸っていなかったので、
関係ないことと無関心を装っていた。

その後、また何かのきっかけで吸い始め
2〜3ヵ月後「痰」でまた禁煙したが
煙草の値が上がってから止めるのは
如何にも癪に障るからその前に止めてしまおうと、
まあ、カッコつければ一つの抵抗でもあるなどと、
数少ない愛煙家の友人に話した。

その舌の根も乾かぬうちの再開である。
何と意思の弱いことか、自身あきれ返っている。

昨年上京した折、銀座では屋外での喫煙は「罰金」
と聞いた。確かに喫煙場所も無い。
しかたがないので、信号を渡って、
新橋へ行って煙草に火をつけた。

思い返せば本格的に喫煙を始めたときは
オレンジ色の箱の「光」であった。一箱10本入りが30円で
1日2箱くらいであった。
昔にしても特別月給の安い会社であったが
月給が6000円の時代である。
両親兄弟一緒に住んでいたので、
居住費などは考えなくて良かったが、一ヶ月の交通費を引くと、
煙草を買えば昼飯代がない、
仕方がないので同僚には「俺は二食主義だ」と云って
昼の時間タバコを吸って凌いでいたことが二年くらいあった。

その後、家で親父の吸っていた「ショ−トピ−ス」を
時々失敬するようになってから
香も味も数段上だし、箱のデザインも気に入ってしまい、
その後はずっと「ショ−トピ−ス」一筋である。

その後、洋もく(主にアメリカ煙草)が手軽に買えるようになってからは
時折、「キャメル」・「ラッキ−ストライク」
「チャエスタ−フィ−ルド」・「ポ−ルモ−ル」などなど、
買って吸ったが、珍しさだけで、最後は「ピ−ス」に戻る。

いずれもパッケ−ジデザインが洒落ていて、
ついつられて買ってしまうが味はピ−スほどではない。

更に後になって、アメリカ煙草だけでなく
世界各国の煙草が手に入るようになり選択肢は広がった。
そんな中でお気に入りはフランス煙草の
「ゴロア−ズ」で、かなりしばしば吸っていた。

パッケ-ジのブル−が美しく、デザイン業界では
「ゴロア−ズ・ブル−」とよばれていたほどである。
香は葉巻煙草に近い。
好きな者にとっては大変良い香りで魅力的であった。

ある時、雀荘で「ゴロア−ズ」に火をつけ煙を吐くと、
友人が連れて来た初対面の男に
何を吸っているかと尋ねられ
「ゴロア−ズ」というフランスの煙草だというと
間髪を入れず、「どうりでドゴ−ルの靴下の臭いがする」
といいながら「ロン」といって牌を倒された。

「ドゴ−ルの靴下の臭い」に一同爆笑。
それ以来、仲間内では「ドゴ−ルの靴下」で通っていた。

残念ながら信州ではゴロア-ズが手に入らず
美しいブル−をお見せすることができない。
数え切れないほどの種類の煙草が今でも
自動販売機に並んでいるが今では殆ど全て
フィルタ−付きである。全て不味い。
いわゆる両切り煙草は「ショ−トピ−ス」だけになってしまった。
おそらくショ−トピ−スを吸う人は全体の2〜3%くらいであろう
もし生産が中止されればすっぱりと禁煙できると思っている。



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